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盛岡地方裁判所 昭和31年(行)1号 判決

原告 成瀬富次

被告 岩手県知事

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は「被告が昭和二十二年六月二十日付岩手い第五七二四号買収令書をもつて別紙目録記載の各土地についてした買収処分の無効であることを確認する。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求原因として、

一、昭和二十二年三月八日旧盛岡地区農地委員会は、原告所有の別紙目録記載の各土地について旧自作農創設特別措置法(以下単に旧自創法と略称する。)第三条に該当する小作農地として買収計画を樹立し、同月九日その旨公告し同日から十日間書類を縦覧に供したが、これに対して異議訴願がなかつたので、被告は県農地委員会の所定の承認手続を経た右買収計画に基き同年六月二十日同日付請求の趣旨記載の買収令書を発行し、同年七月十五日これを原告に交付して右各土地を買収した。

二、しかしながら被告の右買収処分には次のような瑕疵がある。

(1)  別紙目録記載の各土地は旧盛岡市の東端に位し、昭和三、四年頃までには四囲に近接して店舗、住宅が建ち、又古くからあつた天神町通りに近く、天神町通りとこれらの各土地を通つて岩手大学附属小・中学校の間を経て外加賀野の幹線道路に連絡する幹線道路が完成してからは、市街地たること一目瞭然たる土地となつた。

なお右各土地は昭和三年盛岡市加賀野耕地整理組合が宅地造成の目的をもつて耕地整理を施行した地域に属し、且つ盛岡市の都市計画区域内にあるので、原告は旧自創法第五条第四号による買収除外の指定を申請したるところ、被告は昭和二十三年十月十日右土地につき旧自創法施行規則第七条の二の三に則り売渡留保の決定をした。

右のとおりであるから別紙目録記載の各土地はいづれも近く使用目的を変更して宅地となすことを相当とする農地であつた。したがつて旧盛岡地区農地委員会は旧自創法第五条第五号の規定に基き右各土地につき買収除外の指定をなすべきであつたのにこれをしないで前記買収計画を樹立し、被告も慢然これを踏襲して前記買収処分をなした。

(2)  また原告は昭和二十二年四月二十六日旧盛岡地区農地委員会に対して別紙目録記載の各土地につき近く土地使用の目的を変更することを相当として旧自創法第五条第五号による買収除外の指定をしたところ、岩手県農地部においては同年五月二十三日より同法第五条第四号による土地区画整理施行土地区内にある農地の買収除外区域の指定に関するものとして調査を開始し、その頃被告は右各土地につき右規定に則り買収除外の指定をした。被告の前記買収処分は右の指定を無視してしたものである。

被告の前記買収処分には以上のような瑕疵があり、この瑕疵は重大且つ明白であるから右買収処分は無効である。

よつて原告は被告に対してこれが無効確認を求めるための本訴請求に及んだ。と述べ、被告の答弁事実中、前記買収計画樹立の時までの別紙目録の記載の各土地付近の建築状況は認める。と述べ、

被告指定代理人は、主文同旨の判決を求め、答弁として、

一、原告主張事実中第一項は認める。

二(1)  同第二項の(1) のうち原告主張の各土地が旧盛岡市の東端に位し、昭和三、四年頃までに四囲に近接して店舗、住宅が建ち、又原告主張のような幹線道路が完成したこと、右各土地が加賀野耕地整理組合の耕地整理地域に属し、且つ盛岡市の都市計画区域内にあること及び右各土地につき売渡留保の決定がなされたことは認めるが、その余の事実は否認する。

右各土地は前記買収計画樹立当時近く土地使用の目的を変更することを相当とする農地ではなかつた。すなわち右各土地付近(別紙図面赤線で囲んだ部分)の前記買収計画樹立当時である昭和二十二年三月までの住宅等の建物の建築状況をみると、当時右赤線で囲んだ部分に存在した住宅等の建物は別紙図面表示のとおりで全部で三十五戸であつたが、そのうち五戸が大正十年前に建築され、十八戸が大正十年より昭和十年までに建築され、十二戸が昭和十一年より昭和十六年までに建築され、昭和十七年以降買収計画樹立当時までの七年間には全く住宅等の建築はなかつた。尤も右買収計画樹立後右各土地付近に新らしく建物が若干建築されているが、これらの大部分は買収計画樹立後相当期間を経過した昭和二十八年以降に建築されたものであつて買収計画掛立当時その建築を予想できるような状況ではなかつた。他方右各土地付近(別紙図面赤線で囲んだ部分のうち青線で囲んだ部分を除く。)は加賀野耕地整理組合の耕地整理組合の耕地整理施行地域の一部をなし、永年水田として耕作の目的に供せられてきた地帯である。

以上のとおりであつて右買収計画樹立当時右各土地付近が市街地を形成しているといえなかつたばがりでなく、近い将来において右各土地の使用の目的を変更して宅地とするのを相当とする蓋然性もなかつたものである。したがつて旧盛岡地区農地委員会が右各土地について買収除外の指定をしなかうたのはもとより相当であり、同委員会の買収計画に基いてした被告の買収処分にはなんら原告主張のような瑕疵は存しない。

仮りに右各土地が市街地化する可能性がなかつたとはいえず、土地使用の目的を変更することを相当とする農地であつたかどうかは前記買収計画樹立当時客観的に明白であつたとはいえないから、これが指定をしないでした被告の買収処分は無効であるということはできない。

(2)  同第二項の(2) のうち、原告がその主張のような買収除外指定の申請をしたこと、及び岩手県農地部において原告主張のような調査をしたことは認めるが、その余の事実は否認する。被告は別紙目録記載の各土地につき旧自創法第五条第四号による買収除外の指定をしたことはない。したがつて被告の買収処分には原告主張のような瑕疵は存しない。

以上いづれの点においても原告の本訴請求は失当である。と述べ、

立証〈省略〉

理由

原告主張の別紙目録記載の各土地がもと原告の所有であつたこと及び原告主張の右各土地に対する買収手続関係事実は当事者間に争がない。

一、よつて本件各土地が買収計画樹立当時旧自創法第五条第五号にいわゆる近く土地使用の目的を変更することを相当とする農地があつたかどうかについて検討する。

(1)  成立に争のない甲第一、二、三号証、第六、七号証、第九号証、第十五号証の二、三、第十六号証の一によれば、訴外成瀬徳太郎外六名が本件各土地を含む盛岡市大字加賀野、同市大字新圧等約三十町歩の農地につき耕地整理の名目の下に住宅地を造成しこれを分譲する目的をもつて、昭和四年八月三十一日被告知事から加賀野耕地整理組合設立の認可を受けその頃工事に着手し、幅員が狭く不規則不統一のため利用上多くの不便のあつた従来の道路を変更廃止して新に縦横に通ずる幅員四間又は二間半の道路を設け、その両側に内法幅一尺平均、深さ一尺の鉄筋コンクリートの側溝を付置して将来街路となつた場合の排水の便を図つたこと、その頃右工事施行にかかる全地域が同市の水道給水地域に編入され前記新設道路の主要部分に配水鉄管が敷設されたこと、右加賀野耕地整理地区一帯が昭和十三年盛岡市の都市計画区域に指定され、街路網が設定され、さらに昭和二十五年建設省告示により盛岡市の住宅区域に指定されたこと、以上の各事実を認めることができる。

又成立に争のない甲第四号証の一ないし四、第十五号証の四によれば、昭和十六年十二月八日訴外加賀野土地株式会社が本件各土地を含む前示加賀野耕地整理地区内に所有する農地につき、昭和十五年十一月二十一日勅令第七百八十一号宅地建物等価額統制令第五条第一項に基き被告知事に対し土地分譲価格に対する認可申請をしたところ、昭和十六年三月十四日その旨認可があつたので、現況農地であるにかかわらずこれを宅地としての価格をもつて分譲することが認められていたことを認めることができる。

さらに成立に争のない甲第五号証の一、二、三、第十五号証の二、証人石川雅康の証言によれば、昭和二十三年十二月十日被告知事が岩手県都市計画地区指定委員会の答申に基き前示加賀野耕地整理地区の一部(本件各土地を含む)にして既に買収済の農地のうち、昭和二十二年十一月二十六日現在において売渡処分完了前のものにつき都市計画上適切と認め旧自創法施行規則第七条の二の三に則り五年間売渡留保の決定をなし、その後その期間をさらに二年延長したことを認めることができる。

(2)  他方検証の結果によれば、本件各土地が盛岡市の略中心部にある盛岡市役所より徒歩約十五分で達する盛岡市の市街地の東端に位し、岩手中央バス株式会社バス路線の岩山口停留所と天満宮前停留所の間に該路線に沿つて位置する交通至便の場所にあること、本件各土地付近が建物が密集しているという程ではないが、十一番の二、土地の南隣には岩手殖産銀行社宅その北方五十米位のところには岩手大学附属小学校、又十一番の三土地の西南方百米位のところには岩手県立盛岡第二高等学校、白梅幼稚園が建在する外、新築家屋が旧来の住宅の間に散在し、且つ検証時には新築工事中の建物も数ケ所散見され近年とみに住宅地として発展しつつあること、前記バス路線が幅員六・六米で舗装こそ施してないが路面が堅牢にできており、十三番の一土地からこの道路を四十米位南進すると市内中心部に通ずる天神町道路と交又しており、その他本件各土地の周囲には別紙図面表示のとおり整然たる道路が設けられ、いづれもこれらの道路の両側には内法幅四十糎のコンクリート製の測溝(前記バス路線東側測溝のみは内法幅一米)が付置され、これらの側溝は市街地の道路の場合と同様曲り角を鈍角にして作られていることが認められる。前示各認定を左右するに足る証拠がない。

ところで旧自創法第五条第五号にいわゆる「近く土地使用目的を変更することを相当とする農地」とは比較的近い将来において宅地等に転用される高度の蓋然性が当該農地をめぐる所有者等の主観的条件及び土地の立地条件等の客観的条件に照らして社会通念上肯認される農地と解すべきである。

そうすると本件各土地は、これに対してされた耕地整理の目的及びその施行の実体、本件各土地と同様前示加賀野耕地整理地区に属する付近の農地が被告知事から宅地として譲渡処分することを認められていた事実、本件各土地と同様前示加賀野耕地整理地区に属する付近の農地が被告知事から宅地として譲渡処分することを認められていた事実、本件各土地が同知事より都市計画上必要ありとして売渡留保の決定がなされた事実及び本件各土地の立地条件、交通関係その他周辺の土地利用の現況等諸般の事実を綜合すると、買収計画樹立当時既に旧自創法第五条第五号にいう近く土地使用の目的を変更することを相当とする農地であつたといわなければならない。

果してそうだとすれば、右法条にいう市町村農地委員会が都道府県農地委員会の承認を得てなす買収除外の指定はいわゆる法規裁量に属するから、旧盛岡地区農地委員会が本件各土地につき買収除外の指定をしないで買収計画を樹立したのは右法条違背の瑕疵があり、これに基く被告の買収処分も亦同様この点の瑕疵があるものといわなければならない。

二、しかしながら右の瑕疵が本件買収処分を無効ならしめるか否かについてはその瑕疵が重大且つ明白でなければならないので次にこの点について考えるに、その瑕疵により本来買収すべからざるものを買収したことになるのであるから重大であることは認められるとしてもそれが明白であつたかどうかについては更に検討しなければならない。そうしてこの場合明白であつたかどうかということは、前示のとおり本件各土地をめぐる主観的及客観的諸条件を考慮して定めなければならない。

しかるに、

(1)  本件買収計画樹立当時である昭和二十二年三月において、本件各土地付近である別紙図面の赤線で囲んだ部分に存在した住宅等の建物が同図面表示のとおり全部で三十五戸であつたが、そのうち五戸が大正十年前に建築され、十八戸が大正十年から昭和十年までに建築され、十二戸が昭和十一年から昭和十六年までに建築され、昭和十七年以降右買収計画樹立の時までの七年間には全く住宅等その他の施設がなかつたことは原告も認めて争わないところであり、右事実と成立に争のない乙第一号証、検証の結果を綜合すると、本件各土地付近が昭和二十二年当時は概ね水田地帯であつてその間に前示三十五戸の建物が散在していたものであり、住宅地として今日のような発展を遂げたのは昭和二十八、九年以降のことに属することが認られる。

(2)  他方さきに認定したとおり本件各土地を含む盛岡市加賀野地区一帯の農地について昭和四年八月三十一日加賀野耕地整理組合が住宅地の造成を目的として設立され前認定のような工事を施行し、或は右地区一帯が昭和十三年に盛岡市の都市計画区域に指定され街路網が設定されたけれども、本件買収計画樹立当時である昭和二十二年三月までに該地区一帯がこれ以上に現実に住宅化が進み、ないし都市計画の実施がなされたと認めしめる証拠はない。

(3)  さらに右各土地の所有者であつた原告において本件買収計画樹立当時これらの各土地を近く宅地に転用する意図をもつていたとうかがうに足る証拠はなにもない。

そうすれば本件各土地付近における買収計画樹立および買収処分の時に至るまでの宅地化の状況が必ずしも急速かつ顕著でなかつた事実、当時における本件各土地の周辺の土地の利用状況が農業を主としていた事実、原告においても宅地化を予想していなかつた事実等を考え合せると、前示認定の如く本件各土地が近く土地の目的を変更することを相当とする、農地であつたとしてもその判断はしかく容易になし難いものがあり、したがつて近い将来において宅地等に転用することが客観的に明白な状況にあつたものということができないものといわなければならない。

結局本件買収処分には前述の瑕疵があつたけれども以上述べたとおりそれが明白であつたということができないから、本件買収処分を無効とする原告の主張は理由がない。

三、次に原告は被告知事が旧自創法第五条第四号に則り本件各土地につき買収除外区域の指定をしたと主張するが、これを肯認するに足りる証拠はない。よつてこの点の原告主張も採用できない。

以上により原告の本訴請求は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 村上武 瀬戸正二 矢吹輝夫)

目録及び別紙図面〈省略〉

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